福岡市西区の史跡案内のボランティアグループ
by 西区歴史よかとこ案内人
カテゴリ
①西区歴史よかとこ案内人紹介②ボランティアガイド募集
③定期ガイド(史跡案内)スケジュール
④姪浜グループの活動
⑤野方グループの活動
⑥今宿グループの活動
⑦今津グループの活動
⑧各グループの臨時ガイド
⑨研修
⑩その他
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深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く


ちょっと心配な空模様でしたが、雨の心配はなくなり一安心。

ちょっぴり青空が見えてきて
でも、気温は11月も半ばになろうとするのに、20℃を越えていて 
秋はいったいどこへ・・・「深まる秋」とは言えないけれど
参加13名、ガイド13名を二班に分け、お決まりの
「ドラゴン キング ラビッツ」の紙芝居。








「竜になったウサギ」に登場する南浦紹明(大応国師)が
彼に招かれて開山したお寺です。毎年開山忌には
重文「絹本着色大応国師像」が本堂に掛けられるのですが
コロナ禍以降、その機会に恵まれていません。今年も一般には公開されないそうです。










「博多織」
1235年、満田弥三右衛門は、円爾(えんに、後の聖一国師)と共に宋へ向け博多を出発。
6年滞在した後に、織物・朱・箔・素麺・麝香丸の製法を習得し博多に帰ります。
弥三衛門はこれらの製法を人々に伝えましたが、織物の技法だけは家伝とし
様々な工夫を加えて、後の世に「博多織」と呼ばれる生地が厚く、模様の
浮き出た織物を作り出しました。
こちらでは「博多織」をもっと広く人々に知ってもらうために
機械を動かし、職人さん自らが説明してくださいます。




















明治6(1873)年、昭和10(1935)年、平成6(1994)年
それぞれの世相を反映した絵馬に、見入ってしまいました。






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by nisi-yokatoko
| 2023-11-11 20:30
| ③定期ガイド(史跡案内)スケジュール
お茶目な古墳日和 ~八女~












ガードマン石人は身長約2m、「よろい」「かぶと」を身につけています。




















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by nisi-yokatoko
| 2023-10-17 22:38
| ⑨研修
深秋の歴史探訪ウォーキング


「福岡市政だより」10月15日号に、11月の歴史探訪ウォーキングの情報が
掲載されました!


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by nisi-yokatoko
| 2023-10-15 12:13
| ③定期ガイド(史跡案内)スケジュール
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-

前日までの雨模様が心配でしたが、薄曇りの朝9時
能古渡船場に参加者26名が集まり、ガイドと計36名で乗船。

9時25分、定刻に能古島に上陸しました。
本日は4年ぶりに白鬚神社の例祭・おくんちが開催されます。
そのため、白鬚神社までのガイドは持ち時間を守る必要があり
いつも以上に緊張しているのですが・・・












「白鬚神社」は能古島の産土神であり、ご祭神は航海神である住吉大神です。
能古島は明治の頃までは漁業権を持っていなくて、近辺の唐泊、宮浦、今津、浜崎と共に
日本最大級の「五カ浦廻船」を結成して、日本全土にまたがる海運業を展開していました。
本日は4年ぶりに「おくんち」(福岡市の無形文化財指定)が行われます。
神事がスタートする前に、急いで「白鬚神社」のガイドを済ませなければいけません。



いよいよ「おくんち」始まりますが、まず「もりもん」について
前夜から、近辺の神社では見られないほどの豪華な「もりもん」が各集落で作られ
御幣を担いだ子供を先頭に神社まで持っていき
神前に供える行事が古式そのままに行われます。
















島の庄屋の娘・おさよは、ある日浜に流れ着いた青年を助けます。
おさよの手厚い看護のおかげで、青年は元気になり、お礼にと島で働くようになります。
二人はいつしか恋仲となり、将来を誓うのですが・・・父の庄屋は大反対!
他国者と結婚するのはご法度だったからです。しかし、二人の意志は強く
島から追放されてしまいます。仕方なく、二人は博多に移り住みます。
数年後庄屋は亡くなり、おさよは眼病を患います。
青年は必死に看病するのですが、遂におさよは全盲となってしまいます。
そんなおさよは青年に「お願いですから、能古島に連れて行ってください」
と頼みます。しかし、青年は庄屋との約束は守ると言って承知しません。
すると「それでは、せめて象瀬にでも」と懇願するので
青年は断り切れずに承知しました。
翌日、二人は象瀬で楽しいひと時を過ごし
帰ろうとすると・・・おさよはどうしても帰らないと言い張ります。
当然青年は拒みますが、おさよは頑として聞き入れません。
仕方なく、青年はおさよを一人残して象瀬を離れました。
二日後、島民は亡くなっているお小夜を見つけます。
お弔いも済んだ頃、象瀬から女のすすり泣く声が聞こえてきました。
おさよの声に違いないと島民は噂し、恐れました。
また、青年をそれ以降見た者は一人もいないのだそうです。
お天気が良くなり、対岸がよく見えます。 
「ムサシアブミ」の実、秋が深まると赤くなります。
「牧の神公園」に到着。ランチタイム、ゆっくりしてくださいね。お楽しみ抽選会もあります。





ランチ後は「牧の神神社」からガイドスタート。


「也良岬」は能古島の最北端に位置し、「防人・﨑守」が配置されていた場所です。
玄界灘一帯に防人は配置されていたそうですが、その場所を特定出来るのは
「万葉集」の「筑前国の志賀の白水郎の歌十首」に
沖つ鳥 鴨といふ舟の 還り来ば 也良の﨑守 早く告げこそ
という一首があるからです。
船出して帰らぬ夫を恋い慕う妻子の悲しみを詠んだものですが
山上憶良作とも言われています。
思索の森に入り、まず「檀一雄歌碑」を目指します。






日本の国々を造ったと「古事記」に記されているイザナミとイザナギの神様
その二柱の神様が最初に降臨した島・オロノコの一部がこの能古島と
言い伝えられているのだそうですが・・・果たして! ???ですけどね。
深い落ち葉や枯れ枝の散らばる道を抜けて、向かうのは「能古島展望台」です。




能古島には鹿が数多く生息し、藩の鹿狩りの場所でもありました。
しかし、鹿は農作物を荒らすなどして農民を困らせたため
藩は「鹿垣」を作って対応し、南下しないようにしました。
(島の農地は南側に集まっていたため)、中には海を渡る鹿もいて
大変苦労しましたが、戦後になると進駐軍の兵士が来島し
鹿は一頭もいなくなってしまいました。
記録によると、幕末にはグラバーが、明治初年には福岡藩知事の有栖川宮熾仁親王
などが来島し、鹿狩りを楽しんだようです。


館内で収蔵品や展示物の説明を受け、アンケートに記入していただき
今日の歴史探訪ウォーキングは無事に終了しました。皆さんお疲れさまでした。
次回の姪浜グループ「あこめの会」のウォーキングは
11月11日(土) 「深まる秋 歴史の町姪浜・小戸を歩く」
地下鉄姪浜駅9:30に集合
興徳寺⇒博多織工芸館⇒小戸公園⇒姪浜・住吉神社を歩く、約7Kmのコース
多くの方の参加をお待ちしています。
申込締切は11月4日、詳細は10月15日付「福岡市市政だより」に掲載されます。

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by nisi-yokatoko
| 2023-10-09 20:59
| ③定期ガイド(史跡案内)スケジュール
姪浜小学校フィールドワーク2023







学校を出発前の様子


駐車場の一角に「亀井南冥生誕地」の棒標が見えます。


魚市場に向かう途中に、お地蔵さまが・・・





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by nisi-yokatoko
| 2023-09-29 21:39
| ④姪浜グループの活動