人気ブログランキング | 話題のタグを見る


福岡市西区の史跡案内のボランティアグループ


by 西区歴史よかとこ案内人

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カテゴリ

①西区歴史よかとこ案内人紹介
②ボランティアガイド募集
③定期ガイド(史跡案内)スケジュール
④姪浜グループの活動
⑤野方グループの活動
⑥今宿グループの活動
⑦今津グループの活動
⑧各グループの臨時ガイド
⑨研修
⑩その他

以前の記事

2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
more...

メモ帳

検索

タグ

最新の記事

深まる秋 歴史の町 姪浜・小..
at 2023-11-11 20:30
お茶目な古墳日和 ~八女~
at 2023-10-17 22:38
深秋の歴史探訪ウォーキング
at 2023-10-15 12:13
能古島周遊ウォーキング -白..
at 2023-10-09 20:59
姪浜小学校フィールドワーク2..
at 2023-09-29 21:39

ブログジャンル

歴史
九州

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12140930.gif

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12473832.gif
 ちょっと心配な空模様でしたが、雨の心配はなくなり一安心。
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12334524.jpg







 






 

ちょっぴり青空が見えてきて

 でも、気温は11月も半ばになろうとするのに、20℃を越えていて
秋はいったいどこへ・・・「深まる秋」とは言えないけれど
参加13名、ガイド13名を二班に分け、お決まりの
「ドラゴン キング ラビッツ」の紙芝居。
 
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12323118.jpg














 
 

 
 本日のコースは・・・
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12541461.jpg
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12434657.gif

 南口から北口に回り、案内版を前に、本日のコースを簡単に説明します。
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12405301.jpg
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12434916.gif
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12575146.jpg
↑三人の登場人物
 筑紫に派遣されていた武内宿祢(たけのうちのすくね)
弟の甘美内宿祢(うましうちのすくね)の諫言で命の危機に陥いりますが
上司・武内宿祢を救うため、壱岐直真根子(いきのあたいのまねこ)が身代わりに
自刃し、武内宿祢を救います。
 その後、天皇の御前での探湯の対決を経て、疑いを晴らした武内宿祢。
人々は無実の罪に陥れられた上司・武内宿祢を救うために命を絶った
壱岐直真根子を祀って、その徳を称えました。

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12420381.jpg
 姪浜の紅葉の名所の一つ、「興徳寺」
しかし!!やはり今年はまだ、紅葉していません。
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12432445.gif
  1260(文応元)年に、時の鎮西奉行(後の鎮西探題)・北条時貞が建立し
「竜になったウサギ」に登場する南浦紹明(大応国師)
彼に招かれて開山したお寺です。毎年開山忌には
重文「絹本着色大応国師像」が本堂に掛けられるのですが
コロナ禍以降、その機会に恵まれていません。今年も一般には公開されないそうです。

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12433588.jpg
「絹本着色大応国師像」
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12405588.jpg
 「海山」の額が掛かる山門前でガイドの説明に耳を傾け、お寺の中に
全く紅葉していない楓に残念。片隅にツワブキの黄色い花が。
北条氏に縁の寺に相応しく

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12405854.jpg
北条氏の家紋・三つ鱗

 土曜日のため交通量の多い明治通を抜けて
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_13315381.jpg
「旧唐津街道」の説明を皆さんに
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_13344839.jpg
つづいて、「竜になったウサギ」ゆかりの
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12441573.gif
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12442515.jpg
↑こちらは2年前の様子。現在は・・・



 様変わりした祠の前で、皆さんにガイドします
八大竜王の姿になった🐰は天に消えていった・・・そして何処へ?
八大竜王を祀るのが「竜王館」
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_17291572.jpg
 竜王館を後に、向かうのは「博多織工芸館」
博多織は770年の歴史を誇る、福岡の伝統的工芸品です。
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12435885.gif
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_13315130.jpg
↑こちらで「博多織」の歴史を学び、工場見学。

「博多織」
1235年、満田弥三右衛門は、円爾(えんに、後の聖一国師)と共に宋へ向け博多を出発。
6年滞在した後に、織物・朱・箔・素麺・麝香丸の製法を習得し博多に帰ります。
弥三衛門はこれらの製法を人々に伝えましたが、織物の技法だけは家伝とし
様々な工夫を加えて、後の世に「博多織」と呼ばれる生地が厚く、模様の
浮き出た織物を作り出しました。

 こちらでは「博多織」をもっと広く人々に知ってもらうために
機械を動かし、職人さん自らが説明してくださいます。
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_13314945.jpg
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_11485736.jpg

 11時半を過ぎました。ランチ場所の小戸公園を目指します。
公園に入る前に、「向浜元寇防塁」の説明を・・・

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12435187.gif
 鎌倉時代、時の執権北条時宗が、元が1274(文永11)年に来襲した文永の役の後
再度の襲来に備えて、九州各地の武将に命じて、博多湾に沿って約20キロの海岸に
築かせた石の築地が、「元寇防塁」です。
 石築地と呼ばれていたのを、九大の中山平次郎博士が命名しました。
教授は発掘調査をしたのではなく、当時、膨大な時間を使って防塁跡を踏査し
研究成果を発表されたということを、九大伊都キャンパスで開催された
「元寇-防塁研究と九州大学-」で知り、驚いたことを思い出しました。
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_09190159.jpg
「史蹟 元寇防塁」の碑の前で

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_09523084.gif
 小戸公園でランチです。ランチ後には「小戸大神宮」前に集合。
お楽しみ抽選会が待っていますが、本日は参加者が少ないので
当たる確率も高い!皆さんラッキーですね。

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_10024927.jpg
ラッキーな参加者に当たりました!絵葉書

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12440382.gif
  こちらの神社の特徴は、鳥居が「神明鳥居」といって、よく見かける
「明神鳥居」とはちがいます。
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12435623.jpg
 「神明鳥居」のほうが歴史的に古いタイプの鳥居で
伊勢神宮などで見ることが出来ます。比べてみるとわかりますが
シンプルな形が特徴です。「小戸大神宮」神明鳥居なので
古い歴史のあるお社だということがわかります。
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_09571064.jpg
 足腰に自信のある参加者とガイドで階段を登って
お詣りをしますが、以前は「安産石」と説明のあったのが・・・
何故か?いつの間にか「願掛け石」に、あこめの会では
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_10171938.jpg
かっての「安産石」とある説明板

神功皇后伝説を尊重して、「願掛け石」ではなくて「安産石」として
説明することにしています。
 ちなみに、福岡YOKA Nabi、西区の宝等々にも「安産石」とあり
━神功皇后の休憩安産石の由緒により、安産祈願または
けいれんの病に霊験があるとされている。━と記されています。

 北口案内板の前で、「姪浜」の語源の説明は後ほどと話したのですが
いよい一行は、今はマリノアシティ等があり
以前は海だった場所へ向かいます。その場所こそ、「あこめの浜」
「姪浜」の語源にもなったと言われています。

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_10285885.gif
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_10395072.jpg
 姪浜の語源とされる「あこめの浜」は、神功皇后が三韓遠征からの帰途
この地に上陸し、衵(あこめ)を洗い干したことから衵ノ浜と称され、転訛して
「姪浜」と呼ばれるようになったといわれています。
ちなみに「衵」とは中古、多く婦人・童女が用いた肌着。
1982年頃、この辺りは波が洗う海岸だったのです。人々は忘れ去っていますが・・・

 今年はいつまでも夏のような陽気が続き
本日も20℃を越えて、少し汗ばんで来ました。
これから、標高21メートルの「丸隈山」に登ります。

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12440652.gif
 21メートルの高さとは、マンションの高さで言えば5-6階建てくらい。
昔はもう少し大きく高かったようですが、「姪浜石」と呼ばれる砂岩を切り出したために
このような高さ・大きさになってしまったそうです。
近年ボランティアの方々の清掃のおかげで、登る道は格段に楽になりました。
それでも急な山道に変わりはなく、自信のない参加者は下で待機することに・・・
頂上には、自然石に線彫刻した「毘沙門天・広目天・大黒天」が祀られています。
昨年以上に、山道も整備され、祠の周りもきれいに整えられています。
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_10560768.jpg
 「丸隈山」を下りて、次の目的地・「水町天満宮」
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12433109.gif
 ご存じ「菅原道真公」を祀る神社ですが、明治維新後、福岡城に在った
天満宮を姪浜・水町地区の人々がここに移して、大事に守ってきました。
かっては、「鬼すべ」の行事も行われていたそうですが、今では廃れてしまいました。
それでも、今も多くの人々が「学問の神様」として参拝しています。
 ラッキーなことに、本日は清掃の方がいらっしゃっていたので
社の扉が開いていて、中を見学しても大丈夫!ということで
一行は内部を拝見させていただきました。こんなことは初めてです!!
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_11040672.jpg
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_11062003.jpg
内部の様子、絵馬が三枚掲げられています。それぞれの奉納された年に注目!!
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_11114887.jpg
一枚目
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_11115061.jpg
二枚目
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_11115241.jpg
三枚目

 明治6(1873)年、昭和10(1935)年、平成6(1994)年
それぞれの世相を反映した絵馬に、見入ってしまいました。
明治6年には「徴兵令」、昭和10年の二年後には日中戦争が始まり
平成6年には松本サリン事件・・・歴史を刻んでいるお社です。
 
 ウォーキングコースも残り二か所、「旦過だるま堂」へ。

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12441205.gif
 「旦過」と聞くと、北九州の旦過市場を思い起こしますが
あちらの旦過もやはり宗玄寺という寺に関係しているそうです。
 改めて、「旦過(たんが)」とは「夕に来て朝早く帰る」の意。かってここに
興徳寺の旦過寮という、修行僧を宿泊させてもてなした施設があったそうです。
現在のお堂内には、元禄年間の作といわれる「銅造塔婆型厨子」「達磨大師像」
安置されています。また、お堂の前には姪浜石製の「繁層式五重石塔」がありますが
砂岩のためにかなり風化がすすみ、刻んである梵字も読めないような状態です。
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_11303467.jpg

 最後に訪ねたのは姪浜の産土神の「住吉神社」
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_12424914.png
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_11364488.jpg
七五三の可愛い子に会えなくて、ちょっと残念!
 住吉三神を祀り、航海や家内安全の神様として
何より、地震で壊れた鳥居をクイズミリオネイアの賞金で
再建したところから、ご利益があると人気の神社です。

深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_11365873.jpg
深まる秋 歴史の町 姪浜・小戸を歩く_b0398563_11370833.jpg

「御神木」の銀杏の木で、解散。
今後のガイドの充実に充てるために、参加者にアンケートを書いていただきました。
残念ながら銀杏の木はまだ黄変していませんが、秋も深まると
黄色の絨毯のような光景になります。

 今年の「あこめの会」のガイドも、今回でおしまい。次のガイドツアーは3月29日(金)
を愛でながら、姪浜の歴史の要所を歩きます。


# by nisi-yokatoko | 2023-11-11 20:30 | ③定期ガイド(史跡案内)スケジュール

お茶目な古墳日和 ~八女~


お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_13072621.jpg
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_15323411.jpg
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_15332936.gif
本日訪ねる古墳とMAP
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_10555837.jpg
 コロナ禍により実施出来なかった研修を三年ぶりに実施しました!
8:30に姪浜中央公園に集合、バスに乗車して向かうのは「こふんピア広川」
「姪浜G・あこめの会」13名「今宿G・まがたま会」10名
「野方G・平群倶楽部」1名「今津G」4名、参加者は総勢28名。
都市高速は平日の朝ということで、結構混んでいて
予定より少々遅くなりましたが、無事に最初の目的地「こふんピア広川」に到着。

お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_10555566.jpg
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_11030212.jpg

 古墳の実見の前に、資料館で説明を受けますが、人数が多いので
先にDVDを鑑賞する組と、館内の展示物を見ながら説明を受ける組に分かれました。
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_11214330.gif
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_11030542.gif
 5世紀の前半頃に築かれた古墳で、八女古墳群では最古の前方後円墳です。
岩戸山古墳を生前に造った磐井の祖父の頃の墓と言われています。
 後円部には石室があり、その中に家形石棺が納められています。この石棺の蓋部分には
直弧文と重圏文(二重丸の文様)などが浮き彫りされており、最古の装飾古墳としても有名です。
 また、墳丘には石室入口を背にして一体の武装石人が立っています。

 館内展示物をじっくりと見学後、愈々、実見です。足元に注意して先ず、「石人山古墳」へ向かいます。
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_12160081.gif
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_13135823.jpg
 後円部中央に築かれた横穴式石室は、覆屋で保護されていますが、大木が根を見せているなど
足元が非常に悪く、石棺はライトに照らし出され、ようやく見えるという状態です。
資料館での説明や、レプリカで石棺の紋様(直弧文と重圏文)を確認していたのですが
実物を目前に、1600年の時の流れを実感しました。

お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_12362509.jpg
石棺を守るガードマン?である武装石人

 ガードマン石人は身長約2m、「よろい」「かぶと」を身につけています。
が!顔はのっぺらぼう!上半身に模様があるのですが不鮮明、江戸時代の模写には
目・鼻・口が描かれていて往時をわずかにしのぶことが出来ます。
阿蘇溶結凝灰岩製のため、長い年月で石のかたまりになってしまった?そればかりではなくて
人が触れることが出来なくなるまで、手足や腰、肩等に痛みがある人が、石人の同じ所を打つと
それが治ると言われ、打ったりなでさすったりされたために、こんな姿になりました。
何しろ、正面に「石人社」の額、しめ縄に、賽銭箱まであるのですから、神さまなのですね。

 続いて、「弘化谷古墳」
「石人山古墳」とは谷をはさんで同じ八女丘陵の上に築かれています。
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_13090593.jpg
階段を登ると・・・
開けた場所に出る、そこが「弘化谷古墳」
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_13090696.jpg
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_11030846.gif
 直径39m、高さ7mの大形円墳です。1970(昭和45)年、果樹園造成中に偶然発見されました。
調査の結果、古墳のまわりには外堤と呼ばれる土手がめぐり、空濠があったと考えられています。
 石室の中の石屋形奥壁に、靭・双脚輪状文・同心円文・三角文などが、赤色緑色を使用して
描かれています。6世紀中ごろに築かれたこの古墳は、↑写真のように整備されています。
装飾壁画は年に二回(4・11月)一般公開されているそうです。
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_13343474.jpg
資料館内にあるレプリカ
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_13353621.gif
 そろそろお昼時、古墳を後に向かうのは・・・
八女の白壁沿い、風情ある街並みの中央に佇む「うどん茶寮・花むらさき」
ここでいただくランチは、季節の白和え、刺身、酢物、サラダ、香物、ミニうどん
デザートとお腹一杯になります。
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_13512069.gif
おいしゅうございました!

 食後は八女福島の町並み散策。
二班に分かれ、「観光案内人の会」のガイドさんの説明に耳を傾けながら歩きます。
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_14064848.gif
 八女市の中心部・福島は古くからの町で、1601(慶長6)年に田中吉政福島城として整備
その後、久留米藩主有馬氏によって廃城となったものの、商家町として残り
八女地方の交通の要衝となり、物資の集散地として発展していきました。
現在は江戸、明治、大正、昭和初期の伝統的様式の150軒ほどの建物が残っています。

お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_14064575.jpg
屋根にネズミを二匹も発見!!ネコはどこ?

 また、福島八幡宮境内で、秋分の日頃の三日間公演されるからくり人形芝居も有名です。
人形の送り渡しや衣装の早変わりなどが見どころで、昨年九月、行ってきました。
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_14291556.gif
2022年9月23日写す
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_11031171.gif
 「岩戸山歴史文化交流館 いわいの郷」に到着し、学芸員さんからの説明の前に
「筑紫君磐井」にスポットをあてたアニメを見ます。

お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_15032160.gif
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_15091605.jpg
 教科書で習った「磐井の乱」は、6世紀初めに起こった筑紫国造磐井
大和朝廷に対して起こした反乱。時の継体天皇の命(朝鮮出兵し、新羅を討つ)
に反し、出兵の妨害をしたために鎮圧されました。
 どうやら色んな事情があり、鎮圧後もしぶとく生き残っていたようです。
(全く知らなかった・・・)
文化交流館では、発掘や資料から判った事を分かりやすく伝えてくれます。
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_15033773.gif
 展示館から「岩戸山古墳」にはすぐに向かうことが出来ます。
九州北部における最大級の前方後円墳。古墳は埋葬者が不明な場合が
ほとんどなのですが、この古墳は6世紀初めの頃の有力者であり
大和政権に反乱した筑紫君磐井の墓だということが分かっている
珍しいケースです。
 また、古墳北東隅に「別区」が設けられ、これが筑紫君磐井に関する
記録と合致することから、被葬者推定の元になっています。
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_15235700.jpg
学芸員さんが示すこの辺りが周濠

 墳丘・周堤・別区からは「石人石馬」と総称される石製品が100点以上出土しており
その数・種類は他の古墳を圧倒しています。人物・動物・器材の三種類に大別されるそうで
実物は館内に、レプリカが大きさを縮小して別区に建てられています。
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_15374626.jpg
「別区」に建てられた石人・石馬のレプリカ
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_15031249.jpg
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_15421560.jpg
金木犀をバックに集合写真
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_15031526.jpg
「物産館」横に大石灯籠
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_15031994.gif
八女市のシンボルマーク、マンホールの蓋
お茶目な古墳日和 ~八女~_b0398563_15483570.jpg


 八女物産観光館に戻り、お土産等を購入後、姪浜中央公園へ
予定通りの時間・午後4時に到着しました。
絶好のお天気と、金木犀の香りがそこここにある秋の一日に
意義深い研修となりました。

皆さん!お疲れさまでした!!


# by nisi-yokatoko | 2023-10-17 22:38 | ⑨研修

深秋の歴史探訪ウォーキング


深秋の歴史探訪ウォーキング_b0398563_12115913.jpg
深秋の歴史探訪ウォーキング_b0398563_12120194.jpg
 「福岡市政だより」10月15日号に、11月の歴史探訪ウォーキングの情報が
掲載されました!

①11日(土) 姪浜グループによる「深まる秋 歴史の町姪浜・小戸を歩く」

②16日(木) 今津グループによる「九大キャンパス内遺跡を巡る」

③18日(土) 野方グループによる「旧三瀬街道(金武宿)からカッパ橋まで 史跡と自然を巡る」 

締切は①11月04日 ②09日 ③11日です。ご参加のご連絡をお待ちしています。

申込は

9月1日市政だより ー秋晴の歴史探訪ウォーキングー_b0398563_09451245.gif


〒819-0013 西区愛宕浜1-16-6
西区歴史よかとこ案内人事務局 矢野


深秋の歴史探訪ウォーキング_b0398563_12242445.jpg 西区歴史よかとこ案内人事務局





# by nisi-yokatoko | 2023-10-15 12:13 | ③定期ガイド(史跡案内)スケジュール

能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-

能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_17025543.gif

 前日までの雨模様が心配でしたが、薄曇りの朝9時
能古渡船場に参加者26名が集まり、ガイドと計36名で乗船。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11334060.jpg
 9時25分、定刻に能古島に上陸しました。
本日は4年ぶりに白鬚神社の例祭・おくんちが開催されます。
そのため、白鬚神社までのガイドは持ち時間を守る必要があり
いつも以上に緊張しているのですが・・・ 
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11334438.jpg
参加者の受付中
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_12074669.jpg

能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11091865.gif
 むかし、能古島には三寺(神宮寺・養油軒・立泉寺)あったそうですが
二寺は徐々に廃れ、「永福寺」の宮寺の「神宮寺」のみが残り
明治初年に神宮寺は名を改め「永福寺」となり、今に至っています。
山号は瑞祥山、曹洞宗のお寺で、今川にある「金龍寺」の末寺です。
 二度の火災で記録が失われ、詳細は不明ですが
1602(慶長7)年以前に建立されたといわれています。
現在の本堂は1961(昭和36)年に建てられました。
地元出身の画家・多々羅義雄(1894~1968)の歌碑も在ります。

 他に、境内には1946(昭和21)年10月5日に起こった
渡船転覆の悲劇を伝える碑や、犠牲者を悼む「二八観音」も在ります。

 「定員の倍載せて 姪浜殘ノ島渡船顛覆 溺死者二十八名を出す」
(昭和21年10月7日西日本新聞より)
惨事から二日後の新聞の見出しですが、定員の倍以上の92人を乗せ
28人が亡くなったのですから、痛ましい事故でした。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11285943.jpg
二十三回忌の1968(昭和43)年10月5日、犠牲者の鎮魂のために建立された「二八観音」
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_12092690.gif
 
 江戸時代中期にわずか20年ほど操業されたという「能古焼」の登り窯の跡は
1988年の発掘調査により、陶磁器を生産したことが判明しました。
しかし、完品は数点のみ残り「幻の能古焼」と言われています。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_12232609.jpg
ガイドの説明に耳を傾ける参加者
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_12232791.jpg
傍らに咲く「鵯花(ひよどりばな)」
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_12092987.jpg
 大陸文化伝来の玄関口・能古島には、万葉歌碑が二か所在ります。
永福寺境内には
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_12470958.gif
 この歌は「能許・のこ」という地名が文字として最初に現れたものですが
能古島の「のこ」の文字には、歴史的な変遷が見られます。
「残」「能許」「能護」「能挙」「乃古」とも記載されていたそうです。
1946年の渡船顛覆の新聞記事には残ノ島とありますから
能古島と記載されるようになったのは、最近のことになりますね。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_12555953.gif
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_12233526.jpg
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_13272120.jpg
神社横にある「おくんち」の説明板

 「白鬚神社」能古島の産土神であり、ご祭神は航海神である住吉大神です。
能古島は明治の頃までは漁業権を持っていなくて、近辺の唐泊、宮浦、今津、浜崎と共に
日本最大級の「五カ浦廻船」を結成して、日本全土にまたがる海運業を展開していました。

 本日は4年ぶりに「おくんち」(福岡市の無形文化財指定)が行われます。
神事がスタートする前に、急いで「白鬚神社」のガイドを済ませなければいけません。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_13284214.jpg
住吉大神白い鬚を持った神様
神功皇后を朝鮮半島まで、水先案内人をつとめたそうです。

神殿を飾る見事な彫刻などをガイド
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_13344370.gif
下り竜と昇り竜
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_13355303.gif
廻船の様子を伝える絵馬
 いよいよ「おくんち」始まりますが、まず「もりもん」について
前夜から、近辺の神社では見られないほどの豪華な「もりもん」が各集落で作られ
御幣を担いだ子供を先頭に神社まで持っていき
神前に供える行事が古式そのままに行われます。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_12233146.jpg
「もりもん」を仮置きする台
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_12233303.jpg
清めの砂
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_12233730.jpg
御幣を持った親子を先頭に
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_13160440.jpg
「もりもん」が仮置きされました
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_10032647.gif
大根の葉の台に、竹串に刺した柿・栗・ミカンを生花のように取り付けたもの。
大は18cmの台に間断なく半円形に盛り付け、小は8cmの台に花が咲くように取り付ける。
近辺の神社では見られない豪華なもの。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_13203353.jpg
続いて別の集落も
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_13375947.jpg
「もりもん」重そうです
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_13380255.jpg
次々とやって来ます
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_13380415.jpg
鳥居をくぐる際にはしっかりとお清め

 「おくんち」行事が続きますが、探勝路を目指して
「白鬚神社」を後にします。「能古公民館」で休憩と準備体操。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_13460915.gif
愈々、探勝路
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_13461021.gif
危険!🐗出没
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_13461383.gif
今年も豊作に
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_13461552.gif
カラスウリ、オレンジの実は秋のシンボル
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_09040613.jpg
行く手に倒木が・・・
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_08583652.jpg
 「象瀬」は能古島の沖合に浮かぶ岩礁。
名前の通り少し特徴のある様相をしています。
ここには悲しい物語が伝えられています。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_09040825.jpg
岩礁を望みながら「おさよ伝説」の話

 島の庄屋の娘・おさよは、ある日浜に流れ着いた青年を助けます。
おさよの手厚い看護のおかげで、青年は元気になり、お礼にと島で働くようになります。
二人はいつしか恋仲となり、将来を誓うのですが・・・父の庄屋は大反対!
他国者と結婚するのはご法度だったからです。しかし、二人の意志は強く
島から追放されてしまいます。仕方なく、二人は博多に移り住みます。

 数年後庄屋は亡くなり、おさよは眼病を患います。
青年は必死に看病するのですが、遂におさよは全盲となってしまいます。
そんなおさよは青年に「お願いですから、能古島に連れて行ってください」
と頼みます。しかし、青年は庄屋との約束は守ると言って承知しません。
すると「それでは、せめて象瀬にでも」と懇願するので
青年は断り切れずに承知しました。

 翌日、二人は象瀬で楽しいひと時を過ごし
帰ろうとすると・・・おさよはどうしても帰らないと言い張ります。
当然青年は拒みますが、おさよは頑として聞き入れません。
仕方なく、青年はおさよを一人残して象瀬を離れました。
二日後、島民は亡くなっているお小夜を見つけます。
お弔いも済んだ頃、象瀬から女のすすり泣く声が聞こえてきました。
おさよの声に違いないと島民は噂し、恐れました。
また、青年をそれ以降見た者は一人もいないのだそうです。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_09041066.jpg
お天気が良くなり、対岸がよく見えます。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_09035961.jpg
「ムサシアブミ」の実、秋が深まると赤くなります。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_09410427.gif
「牧の神公園」に到着。ランチタイム、ゆっくりしてくださいね。
お楽しみ抽選会もあります。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_09414749.jpg
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_09410628.gif
 ランチ後は「牧の神神社」からガイドスタート。
島の北部一帯には、古代から牛が飼われていて
「延喜式」に、官営牧場として「筑前国能巨嶋牛牧」が載せられ
北部九州の牛牧の中心であったようです。
その守り神として、牧の神が祀られていました。
神社は、何度も場所を建て替えられていて
現在のものは、1799(寛政11)年に福岡藩が馬の牧場を作った時に
建てられたものだそうです。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_09504873.gif
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_09590976.gif
 「也良岬」は能古島の最北端に位置し、「防人・﨑守」が配置されていた場所です。
玄界灘一帯に防人は配置されていたそうですが、その場所を特定出来るのは
「万葉集」「筑前国の志賀の白水郎の歌十首」

 沖つ鳥 鴨といふ舟の 還り来ば 也良の﨑守 早く告げこそ

という一首があるからです。
船出して帰らぬ夫を恋い慕う妻子の悲しみを詠んだものですが
山上憶良作とも言われています。

 思索の森に入り、まず「檀一雄歌碑」を目指します。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_10505197.gif
 無頼派の作家として知られている檀一雄は、終の棲家を能古島に定めますが
病篤く、1976(昭和51)年1月2日に死去しました。享年63。
死の四日前に色紙に認めた俳句が
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11005476.gif
モガリ笛 いく夜もがらせ 花ニ逢はん

 モガリ笛は「虎落笛」と書き、冬になり柵や窓に風が当たり
ヒューと鳴くような激しく不気味な音のことで、冬の季語。

~自分はもう直ぐ死ぬのだ。今夜なのか明日なのか・・・だが
死んでも美しい花に逢いたいものだ、そんな花園に行けたらいい~

という願望をストレートに詠んだものらしいです。

 この場所からは「リツ子その愛・その死」の舞台となった
糸島半島の小田の浜が望めます。

能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11155704.jpg
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11153673.jpg
 「思索の森」を奥に進むとモニュメントが見えてきます。
説明版には「いざなぎ石といざなみ石」とあります。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11232239.jpg
 日本の国々を造ったと「古事記」に記されているイザナミとイザナギの神様
その二柱の神様が最初に降臨した島・オロノコの一部がこの能古島と
言い伝えられているのだそうですが・・・果たして! ???ですけどね。

 深い落ち葉や枯れ枝の散らばる道を抜けて、向かうのは「能古島展望台」です。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11322135.gif
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11374666.jpg
秋晴れの空の下、疲れた足もなんのその!皆さん展望台に登ります。

 展望台は能古の山頂195mにあり、2004(平成16)年に完成しました。
福岡市街や玄界灘など四方を眺望でき、遠くに小呂島も見ることが出来ます。
天気が良くなり、上まで登れは眺望が開けることでしょう。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11445531.gif
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11451668.jpg
 能古島には鹿が数多く生息し、藩の鹿狩りの場所でもありました。
しかし、鹿は農作物を荒らすなどして農民を困らせたため
藩は「鹿垣」を作って対応し、南下しないようにしました。
(島の農地は南側に集まっていたため)、中には海を渡る鹿もいて
大変苦労しましたが、戦後になると進駐軍の兵士が来島し
鹿は一頭もいなくなってしまいました。
 記録によると、幕末にはグラバーが、明治初年には福岡藩知事の有栖川宮熾仁親王
などが来島し、鹿狩りを楽しんだようです。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11521919.jpg
最後の目的地・能古島博物館

能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11525883.gif

 館内で収蔵品や展示物の説明を受け、アンケートに記入していただき
今日の歴史探訪ウォーキングは無事に終了しました。皆さんお疲れさまでした。

 次回の姪浜グループ「あこめの会」のウォーキングは
11月11日(土) 「深まる秋 歴史の町姪浜・小戸を歩く」
地下鉄姪浜駅9:30に集合
興徳寺⇒博多織工芸館⇒小戸公園⇒姪浜・住吉神社を歩く、約7Kmのコース
多くの方の参加をお待ちしています。

申込締切は11月4日、詳細は10月15日付「福岡市市政だより」に掲載されます。
能古島周遊ウォーキング -白鬚神社・おくんち-_b0398563_11553581.jpg
帰りのフェリーを待つ間、対岸の福岡市街を写す


# by nisi-yokatoko | 2023-10-09 20:59 | ③定期ガイド(史跡案内)スケジュール

姪浜小学校フィールドワーク2023


 2023年度の姪浜地区小学校のフィールドワーク二校目は「姪浜小学校」。
9月末、しかも今日は中秋の名月というのに気温は29℃まで上がり、上天気。
暑さ対策の水分補給は欠かせません。

姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_11433747.jpg

 今年度もテーマに応じてグループ分けをします。
姪浜小では4グループに分けて、ガイドは7名が担当し
学校を出発する前後や途中で「ウサギと竜」の話をします。
姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13215378.jpg
「ウサギと竜」
姪浜駅にあるモニュメント「ドラゴン・キング・ラビッツ」

姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13190775.jpg




姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13192910.jpg




姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13201392.jpg




姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13203419.jpg




姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13500223.jpg













学校を出発前の様子

姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13500801.jpg
旧唐津街道を歩いて、亀井南冥生誕地を目指します。

姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13502943.jpg














駐車場の一角に「亀井南冥生誕地」の棒標が見えます。

姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13503708.jpg
みんな熱心にガイドに耳を傾け、メモを取っています。

姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13504879.jpg
















 
魚市場に向かう途中に、お地蔵さまが・・・

姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13505597.jpg
魚市場のある場所の旧町名は「網屋町」
いかにも漁師さんたちの住む町らしい名前ですね。
ここで、魚の流通や取引などの説明を受け
市場の対岸にある「丸隈山」姪浜の地名の由来・あこめの浜のお話も。
駐車場の間近まで潮が迫っています。

 続いて、「水町天満宮」
ここでは、水町の町民がお城から天満宮をこちらに迎えた話や
天神さま=菅原道真公の話を聞きます。

姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_14095501.jpg
「道真公」の生涯を紙芝居仕立てで
 
姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13510568.jpg
「住吉神社」前にある「唐津街道」の説明板を横目に
買物広場へ向かいます。
姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13511249.jpg
夏のように暑くても、季節の花は咲くのですね。

 「姪浜」は弥生時代の昔から人々の営みがあり
地下鉄やマンション工事の際に、見つかった遺跡あとなどから
「甕棺(かめかん)」や土器などの生活用具も見つかっています。
また江戸時代になると、唐津街道では多くの人々が行き交い
大いに栄え、参勤交代でお殿さまが休憩する「お茶屋」もありました。
福岡藩では本陣のことをお茶屋と呼びました。
姪浜小学校フィールドワーク2023_b0398563_13511848.jpg
無事に、学校に戻ってきました!
各自、今日のまとめをして他の班の人たちに伝える仕事が残っています。

# by nisi-yokatoko | 2023-09-29 21:39 | ④姪浜グループの活動